掩蔽(エンペイ)観測とは

 (「掩蔽観測」なんて知らない人のために)   稲田清夫記


掩蔽とは月が動いて恒星をかくす現象で、星食とも呼ばれます。月は1日に約13°ずつ西から東に動きます。月の通り道に恒星があると、恒星は月にかくされます。恒星の天空上の位置は観測によって精密に知られているので、掩蔽現象の起こる時刻を観測すると、月の位置を決める観測ができます。一方、月の位置が精度良く求められていれば、予報時刻と観測時刻の差から、地上の観測点の経緯度がどのくらい正しい値からずれているかを知ることができます。

 ところで日本の地図は、東京麻布の旧東京天文台子午環中心点の位置で天体観測を行って、ここを測地原点として三角測量で日本の測地系を構成しています。それ自体は精密に測量されているので自己完結しているのですが、日本の測地原点での天文観測は、鉛直線が大陸方向に引かれて一定の傾きを持っているので、必然的に経緯度は系統的なズレをともないます。つまり日本の測地原点にもとづいて測量された結果は、大陸の測地系との間に偏りがあります。これは鉛直線偏差と呼ばれます。

特に南の島などの多くは海底火山の上にできた環礁からなっているので、そこでの鉛直線は中心に引きずられて、大きな系統的ズレをもちます。もし日本を含めた離島の位置を大陸と繋げることができれば、大陸との間の系統的誤差を知ることができます。そのために1950年代頃から、掩蔽観測によって、つまり月の運動を利用した鉛直線偏差に関わらない観測をすることによって、汎地球的な位置決定を行うことができるはずだという議論がもちあがりました。日本の観測点を起点として、南の島との間の2点間で観測をすれば、観測された時間差から、その2点間の距離を知ることができます。これを順次伸ばしていって、アメリカ大陸まで繋いでいくことで汎地球的な位置決定ができるという理屈です。

 このための壮大なプロジェクトが計画され、その実行のために東京天文台・国土地理院・水路部などの研究者を含めた掩蔽観測研究会が結成されました。一定の準備の後に、1953年から具体的に観測が始まりました。私たち企業に所属する掩蔽観測部は、主として南の島での観測をする任務をはたすために、このプロジェクトの一翼をにないました。私たちの観測班は天文(班長)、助手(2名)、電気担当からなる4名によって構成されて、日本国内、カロリン群島・マーシャル群島・ハワイなどの南の島、アメリカ大陸へと望遠鏡・観測機材を携行して、遠征と観測を伸ばしました。女子計算班は、電気式計算機を駆使して観測の計画と予報計算に従事しました。このプロジェクトは1964年まで、汎地球的位置決定が人工衛星による測地観測にとって変わられるまで続けられました。